"足るを知る"に学ぶ

世の中は明るいニュースよりも暗いニュースが占めていると高く感じる。"人の不幸は蜜の味"や"悪事千里を走る"とはよく言ったもので悪いニュースの方が人の興味を惹く。根底には自分より不幸な人を見ることで安心感を得られる…なんてのもあるのだろう。では何故そのような考えになってしまうのだろうと考えた結果、"物事に対する欠乏感"が原因ではないか?というひとつの結論にいきついた。

 

"足るを知る"という言葉をご存じだろうか。

 

語源は中国の思想家である老子の言葉『知足者富』という言葉である。和訳すると"足るを知る者は富む"という意味。自分も感じることがあるが、モノにあふれた現代社会では『あれが欲しい』『これが欲しい』と自分や自分の所有物に対する不足感、欠乏感を感じる機会が多いと思う。モノだけでなく他人と比較して自分には才能がない…といった才能の欠乏感もある。そこで不足感といったマイナス感に目を向けず、『自分は既に〇〇を持っているから大丈夫』といったプラス面に考えを向けることである。

 

言葉でいうのは容易いが、実行…つまり思考の方向性を変えるのは一朝一夕でできるものではない。初めてこの言葉を知ったときはとてもできるものじゃないな…と思っていたが、先日この考えを自然とできていることに気が付いた。

 

きっかけはある人から受けた相談事であった。自分の経験則から相談者本人が欲しかった方向の回答やアドバイスはできなかったのだが、何故そうなってしまったかを考えていた。

要因として"成功体験は人の目を曇らせる"というものがあげられる。受けた相談事に関しては自分は成功とまではいわないものの少なくとも失敗していないのである。自分の成功事例しか知らず、きっと将来的によくなるよ…なんて見当違いな発言をしていた。成功した自分の例に倣わせようと…考えずに発言をしていたのである。実在した成功例でも環境などの条件によっては再現性もなくなるし、成功例をベースに違った側面からの考えを毎回、する必要があると感じた。そして自分の例がなぜ成功したかを考えたときに気付いた。

 

"自分ってとても恵まれていないか?"…と。

 

上記で挙げた環境等の条件…これに恵まれていたのである。幼いころは自分の置かれた環境が恵まれているとは考えなかった。勿論、当時の考え方なので

 

・TVゲームは一日一時間まで

・学習塾だけでなく家庭内でもさせられる勉強

カップ麺などのレトルト食品が滅多に食べられない

 

といった大したことないものばかりであるが、幼い頃には他の友達やその家庭と比較して自分に不足しているものについて嘆いていた。上記の不満も今考えてみると

 

・TVゲームは一日一時間まで

 →視力低下防止の為に考えられていたものだし、そもそもクリスマス等にゲームを買ったもらえていた。

・学習塾だけでなく家庭内でもさせられる勉強

 →基礎学力を底上げすることで思考能力が良くなったし、一般常識や漢字などの知識が身につき社会に出てからの不自由が少ない。

カップ麺などのレトルト食品が滅多に食べられない

 →毎回、手作りの食事を出してくれていた。

 

めちゃめちゃ恵まれているじゃん…

 

他にも大切に思える家族・恋人・友人がいる。仕事がある。趣味がある…挙げだせばキリがなく自分は幸せだなと思えた。勿論、現状に満足するだけでなく良い変化を求めることは必要と思っているが、その際に"足りないから頑張る"ではなく"今も良いけど、より良くしよう"と考えるだけで気持ちも楽になるし、肩の力を抜いて頑張れる。足るを知ることで自己肯定感も増し、成長もしやすくなる。いいことづくめじゃないか…

 

不足を嘆く前に、自分の状況を確認し肯定してあげる。そういった前向きな考え方が個人の生活や周りの人への良い影響を与えると思うのでそういった考えで生活していこうと思う。BE POSITIVE.